時代
飛鳥時代
天皇
【代数】 | 第33代 |
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【天皇名】 | 推古天皇 |
政体
【摂政】 | 厩戸皇子 |
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【大臣】 | 蘇我馬子 |
(「聖徳太子像(部分)」東京国立博物館所蔵 Wikimedia Commons)
推古天皇3(595)年の出来事
出来事
- 推古天皇3(595)年4月香木が淡路島に流れ着く。
- 5月10日高句麗僧・慧慈、厩戸皇子の師となる。
- 百済僧・慧聡、来倭(来日)。
- 7月朝鮮半島へ派兵予定の将軍たちを撤収させる。
まとめ
推古天皇3(595)年4月、淡路島に流れ着いた香木は、淡路島の人民は香木と知らず薪として竈で使った。
(淡路島)
すると、
『其の烟氣、遠く薫る』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
状態となり、これに驚いた人民が献上したと言う。
この香木は「沈香」で、後に法隆寺の寺宝となった。
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そして、高句麗僧・慧慈が、ウマヤト王子(厩戸皇子)の師となった。
こうして、
『上宮王、高麗慧慈法師を師トして、王ノ命、能く涅槃常住、五種佛性ノ理を悟り』
(『聖徳太子集 日本思想大系2』家永三郎 藤枝晃 早島鏡正 築島裕 岩波書店)
仏教に精通することとなった。
なお、『日本書紀』には、慧慈が「帰化」したと記述されているが、実は、後年、高句麗へ帰国し、高句麗で遷化している。
また、時期は不明ながら、百済からは僧・慧聡が来倭(来日)した。
この慧慈と慧聡は、
『佛教を弘演めて、並に三寶の棟梁と爲る』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
ことから、前年の推古天皇2(594)年に出された「三宝興隆の詔勅」は、慧慈と慧聡の2人の起用を予め想定していたことが窺えるのである。
崇峻天皇4(591)年に、伽耶(所謂「任那」)での権益を軍事力で回復せんと北部九州の筑紫に派遣していた紀男麻呂・巨勢猿・大伴咋・葛城烏奈良等の将軍が率いる総数2万の軍勢を大和国へ撤収させる。
推古天皇3(595)年の覚え方とポイント
仏教を国語のように覚える太子!(595)