建保4(1216)年【源実朝、大船の建造を開始】

時代

鎌倉時代

天皇

【代数】 第84代
【天皇名】 順徳天皇

順徳天皇
(「順徳天皇像」宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 Wikimedia Commons)

太上天皇

【太上天皇名】 後鳥羽太上天皇
土御門太上天皇

後鳥羽天皇
(「後鳥羽天皇像」水無瀬神宮所蔵 Wikimedia Commons)

土御門天皇
(「土御門天皇像」宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 Wikimedia Commons)

政体

幕府

【征夷大将軍】 源実朝
【執権】 北条義時
【政所別当】 大江広元
【侍所別当】 北条義時
【問注所執事】 三善康信
【京都守護】 中原季時

朝廷

【関白】 近衛家実
【太政大臣】 空席
【左大臣】 九条良輔
【右大臣】 九条道家
【内大臣】 三条公房
【大納言】 中山兼宗
鷹司兼基
【権大納言】 久我通光
西園寺公経
大炊御門師経
九条良平
源通具
藤原忠房
【中納言】 土御門定通
四条隆衡
源雅親
【権中納言】 姉小路公宣
坊門忠信
滋野井実宣
九条教家
藤原公定
(正月27日辞任)
近衛家通
藤原範朝
葉室光親
(正月27日から
6月28日辞任)
源実朝
(6月20日から)
【参議】 藤原頼平
西園寺実氏
藤原定家
藤原顕俊
正親町三条公氏
藤原経通
藤原宗行
中院通方
(12月10日から)
【関東申次】 坊門信清
(3月14日死去)
西園寺公経
(3月14日から)

建保4(1216)年の出来事

出来事
  • 建保4(1216)年
    正月13日
    北条義時、従四位下。
  •  
    2月5日
    東寺、仏舎利等の盗難に遭う。
  •  
    3月14日
    坊門信清、死去。
  •  
    4月2日
    殷富門院、薨去。
  •  
    4月18日
    東寺へ入った盗賊捕縛される。
  •  
    6月8日
    陳和卿、鎌倉に入る。
  •  
    6月15日
    源実朝、陳和卿と対面。
  •  
    6月20日
    実朝、権中納言。
  •  
    閏6月1日
    中原広元、「大江」に改姓。
  •  
    7月21日
    実朝、左近衛中将。
  •  
    8月12日
    後鳥羽上皇、熊野参詣。
  •  
    9月20日
    義時と広元、実朝に将軍以外の官職を辞任するように諫言。
  •  
    11月24日
    実朝、造船を開始。

まとめ

源実朝の正室の父で、京と鎌倉の間を取り持っていた坊門信清が、3月に死去する。

《坊門信清と源実朝関係図》

後白河天皇━高倉天皇
       │
       ┝━━┳守貞親王
       │  ┗後鳥羽天皇
       │
藤原信隆━┳七条院
     ┗信清━━┳忠信
          ┗西八条禅院
            │
源義朝━━━頼朝━━━実朝

信清に代わって、西園寺公経が京と鎌倉間の伝奏に就く。

4月、安徳天皇・後鳥羽上皇の准母である殷富門院が亡くなる。

同月、去る2月に仏舎利を東寺から盗み出した盗人が捕縛された。その様子を後鳥羽上皇が見物している。

『東寺舎利盗人六人被渡獫非違使。上皇有御見物』

(『百錬抄』国立国会図書館デジタルコレクション)

教王護国寺(東寺)
(東寺)

6月、源実朝は、鎌倉入りした陳和卿と対面する。

実朝と対面した和卿が突如泣き出したので、実朝が理由を尋ねると、

『貴客者、昔爲宋朝醫王山長老、于時吾列其門弟云々』

※ 醫王山は育王山のこと

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

と答えた。

つまり、二人は前世からの知り合い(実朝が長老で、和卿がその弟子)で、やっと会えたと言う。

これに驚いたのが、実朝で、実は5年前の建暦元(1211)年に、その夢を見たと言う。

『御夢想之告嚴重』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

閏6月、政所別当の中原広元が、本姓である「大江」姓へと改める。

『請殊蒙天恩因准先例改中原姓爲大江氏状』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

大江氏は、その本貫である山城国乙訓郡大江郷(大枝郷)に因む氏の名で、大江郷は、桓武天皇の生母高野新笠の母である大枝真妹の里としても知られる。

朝廷は、実朝に対して、権中納言、左近衛中将と次々と官職を与える。

この事態に、北条義時は広元と相談し、二人で揃って、実朝に将軍職以外の職を辞するように諫言する。しかし、実朝は、この諫言を拒む。

その実朝は、自分が前世で生きた育王山に行きたいと思い、11月、和卿に命じて大船の建造に取り掛かる。

唐船

『將軍家爲拝先生御住所醫王山給、可令渡唐御之由依思食立、可修造唐船之由、仰宋人和卿』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

造船奉行には、結城朝光が命じられた。

この年、丹後局(高階栄子)が没している。

建保4(1216)年の覚え方とポイント

大船を作る人に居ろ(1216)と言われた陳和卿