治承2(1178)年【平清盛の外孫が立太子!】

時代

平安時代

天皇

【代数】 第80代
【天皇名】 高倉天皇

高倉天皇
高倉天皇像(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

治天の君

【法皇名】 後白河法皇

後白河天皇
後白河法皇像(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

政体

朝廷

【関白】 藤原基房
【太政大臣】 藤原師長
【左大臣】 藤原経宗
【右大臣】 藤原兼実
【内大臣】 平重盛
【大納言】 源定房
藤原実定
【権大納言】 藤原隆季
藤原実房
藤原実国
藤原邦綱
平宗盛(4月5日から)
【中納言】 藤原宗家
源資賢(4月5日から)
【権中納言】 藤原兼雅
平時忠
藤原資長
藤原忠親
藤原成範
平頼盛
源雅頼
藤原実綱
平宗盛(4月5日まで)
【参議】 藤原朝方
平教盛
藤原実家
藤原家通
藤原実守
藤原頼定
藤原実宗
藤原長方

治承2(1178)年の出来事

出来事
  • 治承2(1178)年
    2月8日
    平重盛、内大臣を辞任する意向を示す。
  • 4月5日
    平宗盛、権大納言。
  • 7月3日
    藤原成経等に大赦。
  • 11月12日
    平徳子、言仁皇子を出産。
  • 12月8日
    言仁皇子に親王宣下。
  • 12月15日
    言仁親王、立太子。
  • 12月24日
    源頼政、従三位。

まとめ

一連の『鹿ケ谷事件』は、藤原成親が関係したことから平重盛に影響を及ぼし(成親は重盛の妻・藤原経子の兄)、重盛は、2月に内大臣を辞職する意向を示すほどであった。

その平氏では、重盛の異母弟である平宗盛が権大納言へと進んでいる。

『鹿ケ谷事件』で流罪となった藤原成経・平康頼等に大赦が出される。

しかし、同じく流罪とされた俊寛は赦されなかった。

平清盛の娘で高倉天皇の中宮となっていた平徳子が皇子を出産する(言仁皇子)。

言仁皇子は親王となり立太子する。

ここに清盛が、近い将来、天皇の外戚となる道筋が付けられた。

治承2(1178)年の覚え方とポイント

いっちゃえ!いっちゃえ!ナハナハ!(1178年)言仁皇太子!