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二官八省について
【表記】 | 二官八省 |
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【読み】 | にかんはっしょう |
二官八省とは
天皇中心の古代中央集権体制を構成する官人組織のこと。
隋が中国大陸において巨大な統一国家を完成させ、続いて、唐が「律令」を制定し文明国家として国際的大国となった。
そこで、中国を頂点とする中華文明圏に位置する東アジア諸国では、隋唐に倣う動きが活発となった。当然、倭(日本)でも、ヤマト王権(大和朝廷)の旧態然とした体制を改め、唐の「律令」制度を導入し天皇中心の中央集権体制を確立しようとする機運が高まった。
そのためには、「法」と「官制」と「位階」の三要素を成立させることが必要とされた。
この三要素の内の「官制」を構成する組織が二官八省である。
二官八省の変遷
天智天皇の構築
大化5(649)年、高向玄理と旻が、行政組織として「八省百官」制度を立案。天智天皇10(671)年、天智天皇の皇子である大友皇子が、八省百官を統べる太政大臣に就任している。
天武天皇の構築
天武天皇朝で、法官(式部省)、理官(治部省)、民官(民部省)、兵政官(兵部省)、刑官(刑部省)、大蔵官(大蔵省)の「六官」制度が導入される。持統天皇朝になると、太政大臣の下部組織として、天武天皇朝の六官の他に、中官(中務省)、宮内官(宮内省)の二官が追加され、「八官」制度へと移行する。
また、倭を改め国号を「日本」としている(「日本」号の制定時期には諸説ある)。
『大宝律令(大宝令)』の成立
『大宝律令(大宝令)』により「二官八省」制度が確立した。
これら官制については「二官八省」の他に「二官八省一台五衛府」とも称される。
『養老律令(養老令)』の成立
『養老律令(養老令)』が施行された奈良時代は女性天皇が多く続いたこともあり、太政官が国政の頂点に立つようになる。天皇の権威は絶対でありながらも、その政治力は事実上限定的となる。
天武天皇皇統から天智天皇皇統へと皇統が遷った後は、桓武天皇が絶対的な天皇として二官八省に君臨し政治力を独裁的に発揮したものの、藤原氏(藤原北家)が台頭し摂関政治が進められると、天皇は二官八省の上に超然とした存在となって行く。
なお二官八省の組織の構成は、奈良時代、平安時代に、それぞれ改編を受けており、桓武天皇の長岡京時代にも改編を受けたと見られている。
二官八省の組織図
《官制略図》 ┏神祇官 ┃ 天皇━┫ ┃ ┣太政官┳中務省━━┳中宮職 ┃ ┃ ┣左大舎人寮 ┃ ┃ ┣右大舎人寮 ┃ ┃ ┣図書寮 ┃ ┃ ┣内蔵寮 ┃ ┃ ┣縫殿寮 ┃ ┃ ┣陰陽寮 ┃ ┃ ┣画工司 ┃ ┃ ┣内薬司 ┃ ┃ ┗内礼司 ┃ ┣式部省━━┳大学寮 ┃ ┃ ┗散位寮 ┃ ┣治部省━━┳雅楽寮 ┃ ┃ ┣玄蕃寮 ┃ ┃ ┣諸陵司 ┃ ┃ ┗葬儀司 ┃ ┣民部省━━┳主計寮 ┃ ┃ ┗主税寮 ┃ ┣兵部省━━┳兵馬司 ┃ ┃ ┣造兵司 ┃ ┃ ┣鼓吹司 ┃ ┃ ┣主船司 ┃ ┃ ┗主鷹司 ┃ ┣刑部省━━┳臓贖司 ┃ ┃ ┗因獄司 ┃ ┣大蔵省━━┳典鋳司 ┃ ┃ ┣掃部司 ┃ ┃ ┣漆部司 ┃ ┃ ┣縫部司 ┃ ┃ ┗織部司 ┃ ┗宮内省━━┳大膳職 ┃ ┣木工寮 ┃ ┣大炊寮 ┃ ┣主殿寮 ┃ ┣典薬寮 ┃ ┣正親司 ┃ ┣内膳司 ┃ ┣造酒司 ┃ ┣鍛冶司 ┃ ┣官奴司 ┃ ┣園池司 ┃ ┣土工司 ┃ ┣采女司 ┃ ┣主水司 ┃ ┣主油司 ┃ ┣内掃部司 ┃ ┣筥陶司 ┃ ┗内染司 ┣弾正台 ┣衛門府━━━━━━━隼人司 ┣左衛士府 ┣右衛士府 ┣左兵衛府 ┗右兵衛府
二官八省の業務
神祇官・・・祭祀を司る
太政官・・・政務を司る
中務省・・・詔書の作成業務等
式部省・・・文官の人事業務等
治部省・・・身分統制、外交業務等
民部省・・・民政業務等
兵部省・・・武官の人事、軍事業務等
刑部省・・・司法業務等
大蔵省・・・出納業務等
宮内省・・・宮中業務等
二官八省の覚え方
大相撲で物言いのついた一番を連想しながら・・・
ただいまの取り組みは、カンカン(二官)で審議(神祇)だじょ(太政)!
土俵下で力士の中津笠(中務)は、座布団を敷きブッ(式部)とした。
その勢いでイボ痔部(治部)が飛び出て、ちょっと見ん部(民部)?見た人は、ヒョー(兵部)ギョー(刑部)と大騒ぎ!
あんたのお尻の未来は、おぉ~暗い(大蔵)と言われても、文句ない(宮内)!
二官八省の年表
- 大化5(649)年「八省百官」制度が立案される。
- 天智天皇10(671)年大友皇子、太政大臣に就任する。
- 大宝元(701)年8月3日『大宝律令』完成。
- 天平宝字元(757)年5月20日『養老律令』施行。