神祇官【神の番人】

神祇官について

【表記】 神祇官
【読み】 じんぎかん
【国風読み】 かみのつかさ

神祇官とは

律令体制下の官職で、二官のひとつ。

「職員令(『養老律令』)」によって規定された官司。
天神地祇(天つ神、国つ神)の祭祀、祝部や神戸の名籍、日本各地の官社の管理、大嘗、鎮魂、御巫等に関することを司る職。

神祇官の創始時期

神祇官(神祇伯)に関する記録は、継体天皇朝に初めて見られるが、実際の始まりは、天武天皇朝か持統天皇朝ではないかとされている。

神祇官長官(神祇伯)は封襲職へ

神祇官長官の神祇伯には、中臣氏、忌部氏らが就いたが、平安時代中期以降は、白川家(花山天皇流)が代々封襲した。

神祇官の役職と職務内容

神祇伯(従四位下)1名。
神祇官長官。

大副(従五位下)1名。
大次官。職掌は神祇伯に同じ。
少副(正六位上)1名。
少次官。職掌は大副に同じ。

大祐(従六位上)1名。
大判官。官内の糾判。公文書の審査署名。宿直の割り当て。
少祐(従六位下)1名。
少判官。職掌は大祐に同じ。

大史(正八位下)1名。
大主典。公文書の記録。公文書草案の勘造署名。稽失の検出。
少史(従八位上)1名。
少主典。職掌は大史に同じ。

神部30人。
神事に従事。
卜部20人。
亀卜に従事。
使部30人。
雑用に従事。
直丁2人。

他にも、史生、官掌が設置された。

神祇官の年表

<継体天皇(507)年>
2月10日、大伴金村、継体天皇に神祇伯を派遣し天神地祇を祀るように要請。

<欽明天皇16(555)年>
2月、雄略天皇が百済救済に当たり神祇伯に尋ねた故事が蘇我稲目によって語られる。

<皇極天皇3(644)年>
正月元旦、中臣鎌子(鎌足)を神祇伯に任じるが、鎌子は固辞する。

<天武天皇2(673)年>
12月5日、大嘗祭に神官が参加。

<持統天皇4(690)年>
正月元旦、持統天皇即位の儀で、神祇伯の中臣大島が天つ神の寿詞を奉る。

<持統天皇5(691)年>
11月1日、大嘗祭において、神祇伯の中臣大島が天つ神の寿詞を奉る。

<持統天皇8(694)年>
3月23日、神祇官の長官以下164名に、あしぎぬ、布が下賜される。

<大宝元(701)年>
8月3日、『大宝律令』完成。

<天平宝字元(757)年>
5月20日、『養老律令』施行。

<室町時代>
『応仁文明の乱』により、神祇官庁舎は焼失。以後、吉田神社が神祇官代となる。

<明治元(1868)年>
閏4月21日、明治新政府が政体書を公布し、神祇官が復活。

神祇官の廃止

明治時代に入り、神祇官は神祇省へと変遷するが、神祇官内で安置されていた天神地祇等が宮中へ遷されたこともあり、明治4(1871)年に神祇官は廃止される。