建皇子【儚き皇子!斉明天皇の愛した孫!】

建皇子について

【名前】 建皇子・建王
【読み】 たけるのみこ
【生年】 白雉2(651)年
【没年】 斉明天皇4(658)年
【時代】 孝徳天皇朝~斉明天皇朝
【父】 中大兄皇子(天智天皇)
【母】 蘇我遠智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)
【同母姉】 大田皇女・菟野皇女(持統天皇)
【異母兄】 大友皇子(弘文天皇)

建皇子の生涯

建皇子の生い立ち

蘇我入鹿を討ち、蘇我氏本宗家を滅ぼして、律令国家の建設に邁進する中大兄皇子と、蘇我氏傍流の倉山田石川麻呂の娘である蘇我遠智娘との間に、建皇子は誕生する。

中大兄皇子には、大化4(648)年に、伊賀采女宅子娘との間に大友皇子(当時、伊賀皇子)が誕生しており、白雉2(651)年生まれの建皇子は第二皇子であった。しかし、大友皇子の母方は地方豪族であるのに対して、母方に中央の有力豪族である蘇我氏の血を引く建皇子は、実質的な中大兄皇子の後継者と言えた。

こうして建皇子は、中大兄皇子の後継者として、そして、近い将来に律令国家となる日本の統治者として、一身に朝野の期待を担うこととなる。

建皇子の悲劇

ところが、その建皇子を悲劇が襲う。

『唖にして語ふこと能はず』

(『日本古典文學大系68 日本書紀 下』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

建皇子は、自由に言葉を発することが出来なかったのである。

それが生まれついてのものであったのか、大病に罹ったことの後遺症であるものなのか、一切不明である。こうしたこともあってか、斉明天皇は、皇孫である建皇子を大変可愛がったと伝えられる

建皇子の早過ぎる死

そして斉明天皇4(658)年、建皇子は、天寿と呼ぶには、あまりにも短か過ぎる生涯を終える。

建皇子の死を嘆き悲しんだ斉明天皇は、

『萬歳千秋の後に、要ず朕が陵に合せ葬れ』

(『日本古典文學大系67 日本書紀 上』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

と、自らが崩御した際には、必ず合葬するように命じ、その後も建皇子を思い出しては、涙を流したと言われる。

建皇子とは

建皇子は、早世したこともあり、古代日本の重要な時期の皇子でありながら、それほど顧みられることが少ない。

しかし、言葉を喪失してしまった建皇子に対して、中大兄皇子はより一層の愛情を注いだのではないだろうか。その思いが、天皇の存在を揺ぎ無いものとする律令制の確立へと駆り立てた面もあったのではないだろうか。

それは斉明天皇3(657)年に、突如として起こった有間皇子の発狂に示されているかのように思われる。

中大兄皇子の後継者は、中大兄皇子の皇子である建皇子と大友皇子、そして弟の大海人皇子。さらに先帝の皇子である有間皇子に絞られた。これら後継者候補の中では、母が地方豪族の出である大友皇子は脱落し、また律令制が整備されて直系相続に限られた場合、大海人皇子も候補から外れるのである。その結果、建皇子と直接ぶつかるのは、有間皇子だけとなる。

このため有間皇子は、自らの身の安全を確保するため、必然的に後継者候補から下りねばならなくなり、そのことが突然の発狂に繋がったのではないだろうか。事実、建皇子の薨去後、間もなく、有間皇子は、蘇我赤兄の仕掛けた政変計画(『有間皇子の変』)に加担し、粛清されることとなる。

天武天皇によって、『古事記』の編纂が企図されるが、その中で、倭建命(日本武尊)や、大長谷若建命(雄略天皇)等、日本の統治権に重要な意味合いを持つ人名には、「建」の文字が使われている。

それは、中大兄皇子の後継者として生まれながら、夭逝してしまった建皇子に対して捧げられたものではなかったろうか。

何故なら『古事記』の編纂には、建皇子の同母姉で天武天皇の皇后となり、さらに皇位に就くこととなる菟野皇女(持統天皇)が、大きく関わっているとも見られるのである。

建皇子の薨去から数年後、斉明天皇7(661)年に斉明天皇が崩御するが、皇太子である中大兄皇子は天皇に即位することなく、「称制」と言う形で国事に当たる。

天智天皇称制7(668)年になって、ようやく中大兄皇子は即位し皇位に就くが、皇太子として立ったのは、弟の大海人皇子であった。建皇子が存命であったなら、日本の古代史は、大きく変わっていたであろう。

『飛鳥川 漲ひつつ 行く水の 間も無くも 思ほゆるかも』

(『日本古典文學大系68 日本書紀 下』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

飛鳥川が清らかな水をみなぎらせて途絶えることなく流れるように、純真で美しい心を持ったまま亡くなった建皇子のことが、絶えることなく思い返される。斉明天皇が建皇子との別離に際し詠んだ御製は、当時の誰しもの思いであった。

建皇子の系図

《関係略図》

 蘇我馬子━━━━┳蝦夷━━入鹿
         ┗倉麻呂━倉山田石川麻呂┳興志
                     ┣法師
                     ┣赤猪
                     ┣女子
                     ┣遠智娘(造媛)
                     ┃│
                     ┃└────────────┐
                     ┃             │
                     ┣姪娘           │
                     ┃│            │
                     ┃└───────────┐│
                     ┃            ││
                     ┗乳娘          ││
                                  ││
                      ┌───────────┘│
           ┌────┐     │            │
           │    │     │            │
           │    │     ┝━━━━━┳阿閇皇女  │
           │    │     │     ┗御名部皇女 │
 押坂彦人大兄皇子┳舒明天皇  │     │            │
         ┃      ┝━━━━┳中大兄皇子        │
         ┃      │    ┃││           │
         ┃      │    ┃│┝━━━━┳大田皇女  │
         ┃      │    ┃││    ┣菟野皇女  │
         ┃      │    ┃││    ┗建皇子   │
         ┃      │    ┃││           │
         ┃      │    ┃│└───────────┘
         ┃      │    ┃│
         ┃      │    ┃┝━━━━━━大友皇子
         ┃      │    ┃│
         ┃      │    ┃│
         ┃      │    ┃└────────────┐
         ┃      │    ┃             │
         ┃      │    ┣大海人皇子        │
         ┃      │    ┗間人皇女         │
         ┃      │                  │
         ┗茅渟王━┳皇極天皇                │
              ┗孝徳天皇                │
                                   │
                      ┌────────────┘
                      │
               伊賀国造━━━采女宅子娘

建皇子の年表

<白雉2(651)年>
誕生。

<斉明天皇4(658)年>
5月、薨去。