推古天皇4(596)年【法興寺が落慶】

時代

飛鳥時代

天皇

【代数】 第33代
【天皇名】 推古天皇

政体

【摂政】 厩戸皇子
【大臣】 蘇我馬子

聖徳太子(厩戸皇子)
(「聖徳太子像(部分)」東京国立博物館所蔵 Wikimedia Commons)

推古天皇4(596)年の出来事

出来事
  • 推古天皇4(596)年
    11月
    法興寺が落慶する。

まとめ

推古天皇4(596)年、蘇我氏の氏寺である法興寺が落慶する。

法興寺(飛鳥寺)
(法興寺)

蘇我馬子は、法興寺の寺司に、自らの長子である善徳を任じた。

『巷哥有大臣長子善德爲領、以建元興寺』

(『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』国立国会図書館デジタルコレクション)

※ 蘇我馬子を指す「巷哥有大臣」の「有」と「大臣」の間は文字が欠落して伝えられたと考えられる

《蘇我氏系図》

蘇我稲目┳馬子━━┳善徳
    ┃    ┣蝦夷━━━━入鹿
    ┃    ┣倉麻呂━━━倉山田石川麻呂
    ┃    ┣刀自古郎女
    ┃    ┣河上娘
    ┃    ┗法提郎媛
    ┣摩理勢
    ┣堅塩媛
    ┃ │
    ┃ └───────────────┐
    ┃                 │
    ┣小姉君              │
    ┃ │               │
    ┃ └────┐          │
    ┃      │          │
    ┣小咋    │          │
    ┗石寸名   │          │
           │          │
      ┌────┘          │
      │               │
      ┝━━━崇峻天皇        │
      │               │
     欽明天皇             │
      │               │
      ┝━━┳用明天皇━━厩戸皇子  │
      │  ┗推古天皇        │
      │               │
      └───────────────┘

倭(日本)最初の本格的寺院である法興寺には、高句麗僧・慧慈と百済僧・慧聡が共に住持として入った。

『慧慈・慧聰、二の僧、始めて法興寺に住り』

(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

慧慈は、前年の推古天皇3(595)年に、ウマヤト王子(厩戸皇子)の師となった僧でもある。

ここに、蘇我氏本宗家(蘇我氏大臣家)が主導する政治と国家宗教としての仏教が一体化する。

推古天皇4(596)年の覚え方とポイント

法興寺の建設にご苦労と蘇我馬子!(596)