継体天皇2(508)年【武烈天皇を埋葬する】

時代

古墳時代

天皇

【代数】 第26代
【天皇名】 継体天皇

政体

【大臣】 巨勢男人
【大連】 大伴金村
物部麁鹿火

継体天皇2(508)年の出来事

出来事
  • 継体天皇2(508)年
    10月3日
    武烈天皇を傍丘磐杯丘陵に埋葬。
  • 12月
    耽羅が百済に外交使節を派遣。

まとめ

前年、王位(皇位)に即いたオオド大王(継体天皇)は、この年、オハツセノワカサザキ大王(武烈天皇)を傍丘磐杯丘陵(傍丘磐杯丘北陵)に埋葬した。

武烈天皇陵(傍丘磐杯丘北陵)
(傍丘磐杯丘陵)

男系王統(皇統)の断絶したヤマト王権を継承したオオド大王(継体天皇)に拠る前王統(皇統)への葬送儀礼であった。

ただ、考古学的には、現在治定されている武烈天皇陵(傍丘磐杯丘北陵)は、自然丘陵と見られている。

当時、大陸の中国は、南北朝時代であり、その影響を受けた朝鮮半島でも活発な動きがあった。

新羅と高句麗が相次いで北魏へ外交使節を派遣し、宣武帝に朝貢している。

また、耽羅(済州島)が百済に対し初めて外交使節を派遣した。

このように、東アジア情勢がダイナミックなうねりを見せる中、オオド大王(継体天皇)の王権は始動し出したのである。

継体天皇2(508)年の覚え方とポイント

御霊や(508)すらかに武烈天皇

(覚えやすいように御霊を「ごれい」とあえて誤読する)