承元4(1210)年【彗星が時代を動かす!】

時代

鎌倉時代

天皇

【代数】 第83代
【天皇名】 土御門天皇(11月25日譲位)
【代数】 第84代
【天皇名】 順徳天皇(11月25日受禅)

土御門天皇
(「土御門天皇像」宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 Wikimedia Commons)

順徳天皇
(「順徳天皇像」宮内庁三の丸尚蔵館所蔵 Wikimedia Commons)

太上天皇

【太上天皇名】 後鳥羽太上天皇
土御門太上天皇

後鳥羽天皇
(「後鳥羽天皇像」水無瀬神宮所蔵 Wikimedia Commons)

政体

幕府

【征夷大将軍】 源実朝
【執権】 北条義時
【政所別当】 大江広元(中原広元)
【侍所別当】 和田義盛
【問注所執事】 三善康信
【京都守護】 中原季時

朝廷

【関白】 近衛家実
【太政大臣】 空席
【左大臣】 藤原隆忠
【右大臣】 九条良輔
【内大臣】 徳大寺公継
【大納言】 九条兼良
三条公房
【権大納言】 中山兼宗
鷹司兼基
久我通光
藤原公経(西園寺公経)
九条道家
二条定輔
【中納言】 大炊御門師経
藤原家経
藤原公国
(12月17日辞任)
【権中納言】 九条良平
源通具
日野資実
藤原保家
四条隆衡
源雅親
土御門定通
藤原長兼
藤原仲経
(12月17日から)
【参議】 藤原仲経
(12月17日まで)
姉小路公宣
藤原長房
坊門忠信
滋野井実宣
葉室光親
源有雅
藤原公清
山科教成
藤原頼平
(12月17日から)
【関東申次】 坊門信清

承元4(1210)年の出来事

出来事
  • 承元4(1210)年
    3月14日
    鎌倉幕府、武蔵国の大田文を作成し国務を更定する。
  •  
    4月9日
    大庭景義、死去。
  •  
    5月
    後鳥羽上皇、熊野参詣。
  •  
    5月6日
    大江広元邸で歌会。源実朝・北条政子が列席。
  •  
    9月30日
    彗星出現。
  •  
    10月
    後鳥羽上皇、熊野参詣。
  •  
    10月15日
    源実朝、大江広元から『十七条憲法』を受講する。
  •  
    11月11日
    再び彗星出現。
  •  
    11月25日
    土御門天皇、譲位。守成親王、受禅。
  •  
    11月28日
    順徳天皇、即位。

まとめ

武蔵国の大田文(田文)が作成され、国務が更定される。

『被造武蔵国田文、國務條々更定』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

田畑の面積や所有者等について調査することで、国に対する課役・課税を算定する際の基本となる台帳を作成したもの。

弟の大庭景親と袂を分かち、源頼朝に忠誠を誓い尽して来た大庭景義(景能)が相模国で死去する。晩年は不遇だったとも言われる。

9月には、彗星が出現する。

『異星爲彗星之由』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

夜空

この彗星出現を、京の朝廷は一大事と捉えたようで、鎌倉に使者を送り「改元」の実施について予告している。

『可有改元』

(『吾妻鏡』国立国会図書館デジタルコレクション)

そして、その改元に先立つ形で、土御門天皇(当時、満15歳)が皇太弟の守成親王(当時、満13歳)に譲位する(順徳天皇)。

この譲位には、土御門天皇と守成親王の父である後鳥羽上皇の意向が大きく反映されていると見るのが当然である。

承元4(1210)年年の覚え方とポイント

順徳天皇、鎌倉は如何にと人に問う(1210年)