治暦4(1068)年【後三条天皇が即位!摂関家の望月が遂に欠け始める!】

時代

平安

天皇

【代数】 第70代
【天皇名】 後冷泉天皇(4月19日、崩御)
【代数】 第71代
【天皇名】 後三条天皇(4月19日、践祚)

政体

朝廷

【関白】 藤原頼通(4月16日まで)
藤原教通(4月16日から)
【左大臣】 藤原教通(4月16日、関白へ)
【右大臣】 藤原師実
【内大臣】 源師房
【大納言】 藤原信長
【権大納言】 藤原隆国
藤原経輔
藤原能長(12月29日)
【権中納言】 源経長
藤原能長(12月29日、権大納言へ)
源俊房
藤原忠家
藤原顕房
藤原祐家
源隆俊
藤原経家
藤原経季(12月29日)
源資綱(12月29日)
【参議】 藤原経季(12月29日、権中納言へ)
藤原泰憲
藤原顕家
源資綱(12月29日、権中納言へ)
藤原能季
藤原宗俊
源経信
源隆綱
藤原資仲
藤原良基

治暦4(1068)年の出来事

出来事
  • 治暦4(1068)年
    4月16日
    藤原教通、関白となる。
  •  
    4月19日
    後冷泉天皇、崩御。尊仁皇太弟、践祚(後三条天皇)。
  •  
    9月4日
    後三条天皇、二条第を里内裏とする。
  •  
    10月28日
    藤原昭子(藤原頼宗五女)を女御とする。
  •  
    12月11日
    二条第、焼失。閑院を里内裏とする。
  •  
    12月28日
    大宮第を里内裏とする。

まとめ

この年、後冷泉天皇が崩御し、尊仁皇太弟が即位する(後三条天皇)。

後三条天皇は、藤原氏を外戚としない天皇であった。

《後三条天皇略系図》

藤原道長┳━━━彰子
    ┃    │
    ┃    ┝━━━後朱雀天皇
    ┃    │    │
    ┃   一条天皇  │
    ┃         │
    ┗━━━妍子    │
         │    │
         │    ┝━━━━━後三条天皇
         │    │
         ┝━━━禎子内親王
         │
冷泉天皇━━━━三条天皇

後三条天皇は、完全な形では無かったが藤原氏の圧力を受けずに政治を行える立場を有し、しかも、即位した年齢も壮年期で天皇自らの意志を通すことが出来た。

後三条天皇が行おうとした「天皇親政」には、藤原氏の抵抗に拠る困難も多く待ち受けていた。

だが、後三条天皇が「政治」を藤原氏の手から天皇家(皇室)へと取り戻そうとした流れは、この年、確実に動き始めた。

即ち、「摂関政治」から「院政」へと日本の政治が大きく切り替わる端緒が、ここに始まったのである。

ただ、当時の多くの人々は、後三条天皇の即位が、時代をこの先大きく変わることになるとは未だ気が付いていなかった。