東御方

東御方についての小ネタ

【時代】 室町時代

足利義教の側室「東御方」

東御方は、足利幕府第六代将軍の足利義教の側室のひとり。

永享9(1837)年春、義教は、正親町三条実雅の屋敷に招かれた際、そのお供に、東御方を伴って出かけるのである。

時の将軍が、「セレブの宴」に、一緒に連れて出るぐらいであるから、東御方も、ただ単に美貌を誇るだけでなく、教養も兼ね備えていた女性だったと思われる。

こうして、機嫌良く、宴を楽しんでいた義教であった。

が、義教は、突如として、顔を真っ赤にして怒り出し、その場に立ち上がると、腰の刀を抜き、鞘のまま傍らに座っていた東御方の頭や顔を思いっきり殴りつけた。

そして「二度と、その顔を見せるな!」と言い放ち、追放してしまったのである。

東御方が足利義教を激怒させた理由とは

足利義教が、ここまで怒りまくった原因と言うのが、東御方の「話の相槌の仕方が気に食わない」と言うものであった。

失言どころか、相槌ひとつだけで、全てを失う時代もあったのである。