住吉仲皇子【叛乱者か?犠牲者か?】

住吉仲皇子について

【名前】 住吉仲皇子
【読み】 すみのえのなかつみこ
【別表記】 住吉中皇子・墨江之中津王・墨江中王
【生年】 不明
【没年】 仁徳天皇87(399)年
【時代】 古墳時代
【父】 オオサザキ大王(仁徳天皇)
【母】 葛城磐之媛
【同母兄】 イザホワケ王子(去来穂別皇子)
【同母弟】 ミズハワケ王子(瑞歯別皇子)・オアサヅマワクゴノスクネ王子(雄朝津間稚子皇子)
【異母兄弟姉妹】 オオクサカ王子(大草香皇子)・クサカハタヒ王女(草香幡梭皇女)
【配偶者】 不明
【子】 不明

住吉仲皇子の生涯

住吉仲皇子の生い立ち

スミノエノナカツ王子(住吉仲皇子)は、オオサザキ大王(仁徳天皇)の第二王子(皇子)として誕生する。

母は、ヤマト王権における最大の実力者たる葛城襲津彦の娘・葛城磐之媛である。

同母兄に、イザホワケ王子(去来穂別皇子)がおり、同母弟に、ミズハワケ王子(瑞歯別皇子)・オアサヅマワクゴノスクネ王子(雄朝津間稚子皇子)がいる。

異母兄弟として、オオクサカ王子(大草香皇子)がいる。

仁徳天皇31(343)年正月、イザホワケ王子(去来穂別皇子)が王位(皇位)の継承者に決定する。

そして、仁徳天皇35(347)年には、兄弟たちの生母である葛城磐之媛が、夫・オオサザキ大王(仁徳天皇)の女癖の悪さに苦悩し尽くした果てに亡くなる。

住吉仲皇子、兄の嫁候補を奪う

仁徳天皇87(399)年、オオサザキ大王(仁徳天皇)が没する。

イザホワケ王子(去来穂別皇子)は、羽田八代宿禰の娘である黒媛を自分の妻にしようと考える。

そして、婚儀の準備を整え、イザホワケ王子(去来穂別皇子)が黒媛へ通う日付の段取りを付けるために羽田八代宿禰の下へ向かう使者として抜擢されたのがスミノエノナカツ王子(住吉仲皇子)であった。

だが、スミノエノナカツ王子(住吉仲皇子)は、黒媛がイザホワケ王子(去来穂別皇子)と性行為を行う前に、自分が黒媛と性行為をしようと考える。

そして、自らをイザホワケ王子(去来穂別皇子)と名乗り黒媛と性行為をしてしまう。

『仲皇子、太子の名を冒へて、黑媛を姧しつ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

黒媛は、イザホワケ王子(去来穂別皇子)と会ったことがないので、そのまま信じて疑うこと無く求められるままに性行為を行ったのである。

ところが、スミノエノナカツ王子(住吉仲皇子)は、黒媛との性行為の心地良さに気が緩んだのか、手首に付けていた鈴を黒媛の寝所に置き忘れてしまう。

鈴

翌晩になって、イザホワケ王子(去来穂別皇子)が黒媛のもとを訪れ、性行為をしようとしたところ、その動きで寝床の上の置かれていた鈴が揺れて鳴る。

『何ぞの鈴ぞ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

イザホワケ王子(去来穂別皇子)は、リンリンと鳴る鈴に驚き「一体何の鈴の音か」と黒媛に尋ねると、黒媛が、

『昨夜、太子の齎ちたまへりし鈴に非ずや。何ぞ更に妾に問ひたまふ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

「夕べ、王子様が一発した時にお忘れになった鈴やおまへんか。何でまた聞きはりますのん」

と答えたことで、ここに事態は全て露見する。

この黒媛について、『日本書紀』は「羽田八代宿禰の娘」としている。

しかし、『古事記』には、

『此の天皇、葛城の曾都毘古の子、葦田宿禰の女、名は黑比賣命を娶し』

(『古事記祝詞 日本古典文學大系1』 倉野憲司 武田祐吉 校注 岩波書店)

とあり、イザホワケ大王(履中天皇)の妻妾について述べる中で、黒媛が「葛城葦田宿禰の娘」であることが明示されている。

しかも、『日本書紀』も「履中天皇紀」中では、黒媛を「葛城葦田宿禰の娘」としているのである。