朝臣について
【表記】 | 朝臣 |
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【読み】 | あそみ(あそん) |
朝臣とは
天武天皇朝期に『八色の姓』で制定された姓のひとつ。
姓の順位としては第二位に位置するものであった。平安時代以降になると読み方は、「あそん」と呼ばれるようになる。
「朝臣」姓となった姓一覧
大三輪君・大春日臣・阿倍臣・巨勢臣・膳臣・紀臣・波多臣・物部臣・平群臣・雀部臣・中臣連・大宅臣・粟田臣・石川臣・桜井臣・采女臣・田中臣・小墾田臣・穂積臣・山背臣・鴨君・小野臣・川辺臣・檪市臣・柿本臣・軽部臣・若桜部臣・岸田臣・高向臣・宍人臣・来目臣・犬上君・上毛野君・角臣・星川臣・多臣・胸方君・車持君・綾君・下道臣・伊賀臣・阿閉臣・林臣・波弥臣・下毛野君・佐味君・道守臣・大野君・坂本臣・池田君・玉手臣・笠臣
朝臣の年表
<天武天皇13(684)年>
11月1日、天武天皇、『八色の姓』により「朝臣」姓を下賜。
この「朝臣」姓は皇別出身が多いのが特徴であった。
<文武天皇2(698)年>
8月16日、文武天皇、「藤原朝臣」姓を藤原不比等の直系のみとする。
「藤原」姓は天智天皇8(669)年10月に天智天皇から中臣鎌足に下賜されたもの。
<天平勝宝2(750)年>
正月16日、橘氏が「朝臣」姓に改められる。
橘諸兄は、この時、「左大臣」「正一位」であり、実際は、諸兄自ら、藤原朝臣に対抗するために「宿禰」から「朝臣」へと格上げしたもの。『八色の姓』を反故にした最初は、橘諸兄であった。
奈良時代以降の朝臣
奈良時代に入ると「藤原朝臣」の台頭が著しくなる。
平安時代には武家である清和源氏と桓武平氏が共に「朝臣」姓(「源朝臣」、「平朝臣」)を名乗るようになる。ここに古代からの氏姓制度は事実上崩壊していくのである。
こうして本来は姓として「真人」姓に次ぐもので、第二位の姓であったにもかかわらず、実質的に最高位となる。