時代
戦国
天皇
【代数】 | 第106代 |
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【天皇名】 | 正親町天皇 |
政体
幕府
【征夷大将軍】 | 足利義輝 |
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【管領】 | 細川氏綱 |
【政所執事】 | 伊勢貞孝 |
【関東管領】 | 上杉憲政 |
朝廷
【関白】 | 近衛前嗣 |
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【左大臣】 | 藤原公朝 |
【右大臣】 | 藤原家輔 |
【権大納言】 | 藤原実澄 藤原光康 藤原孝親 藤原季遠 藤原惟房 源通為 藤原国光 藤原晴季 源通興 藤原公維(4月19日) |
【権中納言】 | 菅原為康 藤原為益 菅原長雅 藤原雅教 藤原晴秀 藤原公維(4月19日、権大納言へ) 源重保 北畠具教 藤原宣綱 |
【参議】 | 藤原親氏 藤原基孝 藤原公右 藤原実福 源義輝(足利義輝) 藤原頼房 |
永禄3(1560)年の出来事
- 永禄3(1560)年正月16日足利義輝と三好長慶が和睦する。
- 正月27日正親町天皇、即位礼。
- 2月23日北条氏政、家督相続。
- 3月19日島津義弘、島津豊州家の養子となる。
- 3月浅井長政、家督相続。
- 5月19日『桶狭間合戦』。
- 5月23日松平元康、岡崎城で自立。
- 6月15日長宗我部元親、家督相続。
- 12月24日尼子義久、家督相続。
まとめ
永禄3(1560)年に起こった出来事と言えば、織田信長が今川義元を討ち取った『桶狭間合戦』が有名である。
(『織田信長像(部分)』長興寺所蔵 Wikimedia Commons)
しかし、この永禄3年と言う年は、『桶狭間合戦』だけで無く、日本史上における戦国時代と言う時代のひとつの節目となる年であった。
畿内では、将軍・足利義輝と三好長慶が和睦し、義輝が帰洛を果たす。また、財政難から挙行が遅れていた正親町天皇の即位礼が、毛利元就や長尾景虎の支援を得たことで、ようやく行われた。
相模の北条氏(後北条氏)では、当主の北条氏康が嫡子・北条氏政に家督を譲っている。この北条氏の家督相続は、相甲駿同盟等に代表されるように安定した政治状況の中での順調な家督相続であったと言える。
もっとも、北条氏にとって良いことばかりで無く、この年、関東管領・上杉憲政を擁して、長尾景虎が初めて関東に攻め込んで来る。以後、北条氏は、景虎への対応に手を焼くことになる。
北近江の浅井氏の家督相続は、当主・浅井久政が六角氏に降伏する姿勢を見せた。このことで、領内の国人・土豪層が久政に対して猛反発し、久政を家督から追い出し、久政の子の浅井長政を家督に据えたものである。
東海の雄である今川氏は、言わずもがなで『桶狭間合戦』において当主・今川義元が、まさかの敗死をしたことで、今川氏真が立てられた。
土佐の長宗我部氏は、当主・長宗我部国親が急死したため、初陣を済ませたばかりの嫡子・長宗我部元親が家督を相続している。尼子氏も、台頭する毛利氏の前に苦戦する中、当主・尼子晴久が急死。そこで、尼子義久が家督を継いだ。
また、今川氏領と化していた三河では、今川義元の死を契機として、松平元康が自立を果たす。
事情は様々に違うが各地の戦国大名に世代交代と言う新時代の到来が訪れたのが、この永禄3年と言う年であった。
この年は、『桶狭間合戦』ばかりが注目されるが、「時代」は日本各地でダイナミックなまでに動いていたのである。