大師(太政大臣)【日本史上唯一の官号!人臣最初の「太政大臣」は中国風に!】

大師について

【表記】 大師
【読み】 たいし
【時代】 奈良時代

大師とは

太政大臣のこと。「太師」とも書かれる。

天平宝字2(758)年、光明皇太后の力を背景に、当時の朝廷を統括していた藤原仲麻呂(恵美押勝)に拠って、官号が唐風に改称された際に「太政大臣」から「大師」と改められたもの。

上記のことから、日本史上、大師は藤原仲麻呂だけである。

天平宝字8(764)年、『恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)』で仲麻呂が倒れると、すぐさま、元の官号に戻された。

大師の年表

<天平宝字2(758)年>
8月25日、官号を唐風に改め、「太政大臣」を「大師」とする。

<天平宝字4(760)年>
正月4日、藤原仲麻呂(恵美押勝)、大師に就任。

<天平宝字8(764)年>
9月11日、『恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)』勃発。
9月18日、藤原仲麻呂(恵美押勝)、反乱の首謀者として斬殺される。
9月22日、「大師」号を廃して「太政大臣」号を復活。
10月9日、淳仁天皇、廃位。

人臣最初の「太政大臣」は誰か?

日本史上、人臣で最初の太上大臣は、天平宝字4(760)年に、大師に就任した藤原仲麻呂のはずである。

しかしながら、仲麻呂が実施した官号改称のためか、平安時代以降、仲麻呂(藤原南家)の太上大臣就任は一切顧みられることは無く、一般には人臣最初の太政大臣は藤原良房(藤原北家)とされている。

藤原仲麻呂の政敵であった道鏡も「太政大臣禅師」に任じられているが、道鏡が僧と言う立場であったことを理由にしてなのか、仲麻呂と同じく無視されている。