大舎人について
【表記】 | 大舎人 |
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【読み】 | おおとねり(おおどねり) |
大舎人とは
中務省被管の大舎人寮(右大舎人寮、左大舎人寮)に属する官人のこと。
大舎人寮(左右大舎人寮)での養成を経て、内裏での宿直、行幸等の供奉、雑使等を務めた。また、他の官司へ出向することもあった。
大舎人は、五位以上の者の子孫(21歳以上)から、内舎人の選抜から漏れた者で、容姿端麗、読み書きの才能に秀でた者が採用された。また、六位から八位の者の21歳以上の嫡庶子の中から試験して、上等の成績を収めた者が採用された。
なお、律令制以前にも、大舎人は存在しており、天武天皇が天武天皇2(673)年に、官人を目指す者は、大舎人として天皇に近侍し勤務するように詔を出している
大舎人の組織と役職
《官制略図》 ┏神祇官 ┃ 天皇━┫ ┃ ┣太政官┳中務省━━┳中宮職 ┃ ┃ ┣左大舎人寮━━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃《役職》 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 頭(従五位上)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 助(正六位下)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大允(正七位下)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ 少允(従七位上)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大属(従八位上)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ 少属(従八位下)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大舎人 800名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 使部 20名 ┃ ┃ ┃ ┃ 直丁 2名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ↓統合 ┃ ┃ ┣右大舎人寮━━━━━━━━━━⇒大舎人寮 ┃ ┃ ┃ 再編 ┃ ┃ ┃《役職》 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 頭(従五位上)1名 頭(従五位上)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 助(正六位下)1名 助(正六位下)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大允(正七位下)1名 大允(正七位下)1名 ┃ ┃ ┃ 少允(従七位上)1名 少允(従七位上)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大属(従八位上)1名 大属(従八位上)1名 ┃ ┃ ┃ 少属(従八位下)1名 少属(従八位下)1名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 大舎人 800名 大舎人 400名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 使部 20名 使部 20名 ┃ ┃ ┃ 直丁 2名 直丁 2名 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣図書寮 ┃ ┃ ┣内蔵寮 ┃ ┃ ┣縫殿寮 ┃ ┃ ┣陰陽寮 ┃ ┃ ┣画工司 ┃ ┃ ┣内薬司 ┃ ┃ ┣内礼司 ┃ ┃ ┗内匠寮 ┃ ┣式部省 ┃ ┣治部省 ┃ ┣民部省 ┃ ┣兵部省 ┃ ┣刑部省 ┃ ┣大蔵省 ┃ ┗宮内省 ┣弾正台 ┣衛門府 ┣左衛士府 ┣右衛士府 ┣左兵衛府 ┗右兵衛府
※ 官位は相当
大舎人の年表
<延暦14(795)年>
6月、蔭子孫から補任。
<大同元(806)年>
12月4日、左右大舎人についての詔勅。
<大同2(807)年>
定員を800名とする。
<大同3(808)年>
8月、左右大舎人寮が統合され大舎人寮となり、大舎人の定員は実質的に半減する。
<弘仁10(819)年>
8月、定員を400名とする。