寛平3(891)年【宇多天皇、菅原道真を抜擢し親政へと動き出す!】

時代

平安時代

天皇

【代数】 第59代
【天皇名】 宇多天皇

太上天皇

【太上天皇名】 陽成太上天皇

政体

朝廷

【関白】 藤原基経(正月13日まで)
【太政大臣】 藤原基経(正月13日まで)
【左大臣】 源融
【右大臣】 藤原良世(3月19日から)
【大納言】 藤原良世(3月19日、右大臣へ)
源能有(3月19日から)
【中納言】 源能有(3月19日、大納言へ)
源是忠(3月19日から)
源光(3月19日から)
藤原諸葛(3月19日から)
【参議】 源是忠(3月19日、中納言へ)
藤原時平(3月19日から)
源直
藤原有実
源光(3月19日、中納言へ)
藤原諸葛(3月19日、中納言へ)
藤原国経
源興基(3月19日から、9月11日死去)

寛平3(891)年の出来事

出来事
  • 寛平3(891)年
    正月13日
    藤原基経、死去。
  •  
    2月19日
    天皇、内裏に入る。
  •  
    2月25日
    隠岐島に漂着した新羅人35人に米・塩等を与える。
  •  
    2月29日
    菅原道真を蔵人頭にする。
  •  
    3月9日
    菅原道真を式部少輔にする。
  •  
    4月11日
    菅原道真に左中弁を兼任させる。
  •  
    7月20日
    常陸国に陰陽師を配置する。
  •  
    10月29日
    円珍、入滅。

まとめ

かつて『阿衡事件』(仁和4=888年)で宇多天皇を苦しめた藤原基経が死去。

この基経の死に拠って、左大臣の源融(嵯峨源氏)以外の朝廷人事が大きく入れ替わり、右大臣には藤原有世(藤原冬嗣の8男)が据えられる等、ようやく宇多天皇の理想とする政治への胎動が始まる。

宇多天皇
(「宇多天皇像(部分)」仁和寺蔵)

しかし、この年の人事における最大の白眉とも言えるのが、前年(寛平2=890年)に讃岐守の任期を終えて京に帰って来ていた菅原道真を宇多天皇が重用したことである。

菅原道真
(「菅原道真(部分)」『前賢故実』国立国会図書館デジタルコレクション)

具体的には、機密に関わる蔵人頭・人事に関わる式部少輔・政務に関わる左中弁に、道真を任じることで、脱・藤原北家主流派支配を図り「天皇親政」の足元を固めようとする。

また、この年は、

『客星有』

(『日本紀略 國史大系第五巻』国立国会図書館デジタルコレクション)

や、

『大白犯土星』

(『日本紀略 國史大系第五巻』国立国会図書館デジタルコレクション)

さらに、

『月犯食心星少人星』

(『日本紀略 國史大系第五巻』国立国会図書館デジタルコレクション)

のように、しばしば天体の運行に異常が見られた年で、これら天体運行の異常に拠る影響のせいであるのか夏には旱魃に襲われ、多くの人民が苦しんでいる。

星の運行
(天体の運行が例年とは異なった一年であった)

このため、常陸国の史生を1名停止し、その代替に陰陽師を配置して天体運行の監視に当たらせている。

これ以外には日時は不明ながら、陽成上皇が、生母である藤原高子の五十歳の祝賀を二条院で行う等の出来事が、この年にあった。

寛平3(891)年の覚え方とポイント

基経が死ぬまで歯食(891年)しばった宇多天皇は道真大好き!