時代
古墳時代
天皇
【代数】 | 第25代 |
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【天皇名】 | 武烈天皇 |
政体
【大連】 | 大伴金村 |
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武烈天皇5(503)年の出来事
出来事
- 武烈天皇5(503)年6月武烈天皇、樋から流れ出る人を殺害して喜ぶ。
まとめ
オハツセノワカサザキ大王(武烈天皇)の暴虐ぶりは収まることを知らない。
この年は、人を池の堤に設置された樋に押し込め、水の勢いで樋から流れ出て来るのを待ち受け、流れ出てきた人を三つ刃の矛で刺し殺しては、とても喜んだと言う。
『人をして塘の楲に伏せ入らしむ。外に流れ出づるを、三刃の矛を持ちて、刺し殺すことを快とす』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
このようにオハツセノワカサザキ大王(武烈天皇)は、自らが治めるクニ(国)に住まう人民に対する慈悲の心は微塵も持たなかったと日本の正史である『日本書紀』は伝える。
この『日本書紀』の記述で注目されるのは、人を刺し殺す道具として、
『三刃の矛』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
が用いられたと言うことである。
何となく悪魔が手に持つミツマタを連想しそうである。
これも悪魔的所業のオハツセノワカサザキ大王(武烈天皇)には相応しいだろう。
だが、オハツセノワカサザキ大王(武烈天皇)が用いた「三刃の矛」は、むしろ魚を突く時の用いられる漁具に近いような物だったと思われる。
そこから『日本書紀』が編纂された奈良時代の武器には、そのような農業の農機具や漁業の漁具の名残を留めているものがあったのかも知れないと想像される。
武烈天皇5(503)年の覚え方とポイント
壊れた御(み)心、武烈天皇(503)