時代
飛鳥時代
天皇
【代数】 | 第33代 |
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【天皇名】 | 推古天皇 |
政体
【摂政】 | 厩戸皇子 |
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【大臣】 | 蘇我馬子 |
(「聖徳太子像(部分)」東京国立博物館所蔵 Wikimedia Commons)
推古天皇7(599)年の出来事
- 推古天皇7(599)年3月厩戸皇子、地震を予知。
- 4月27日大和で大地震が起こる。
- 9月百済から珍獣が贈られる。
まとめ
推古天皇7(599)年の春、ウマヤト王子(厩戸皇子)が地震を予知し、建築物を頑丈にするよう命じる。
『太子候望天氣奏曰應致地振即天下令堅屋舎』
(『聖徳太子傳暦』国立国会図書館デジタルコレクション)
かくて、4月、大和で大地震が発生した。
『地動りて舎屋悉に破たれぬ』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
当時、大和にあった建築物は全て一宇残らず倒壊したと言う。
この『日本書紀』の記述が正しいのならば、トヨミケカシキヒメ大王(推古天皇)の宮である豊浦宮も推古天皇4(596)年に落慶した法興寺も、この大地震で崩壊したことになる。
(豊浦宮)
(法興寺)
大地震の影響が残る中の9月、百済から珍獣が贈られて来る。
『百濟、駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻を貢れり』
(『日本書紀 下 日本古典文學大系68』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
百済は、前年末に威徳王が没し、恵王が王位に即いた。
《百済王家系図》 東条王━武寧王━聖王(聖明王)┳威徳王━阿佐 ┗恵王━━法王━武王━義慈王
『厚修其使答信倍多』
(『聖徳太子傳暦』国立国会図書館デジタルコレクション)
高句麗からの軍事的脅威を前にして、威徳王が採用した倭(日本)との関係を強化する外交方針は、恵王の代になっても踏襲されたものと見られる。
そして、正史『日本書紀』は記さないが、日本仏教の世界において、「地震予知」と言うウマヤト王子(厩戸皇子)の「超人伝説」が付与された年となった。
これだけだと、高句麗・百済・新羅が諜報活動を行って得た「情報を」基本として厳しい現実的な政治を選んで国家として生き残るために懸命であった時期に、倭(日本)は「オカルト」に頼るだけだったように思われる。
しかし、実際には、倭(日本)も政治方針の大転換を模索していた。
推古天皇7(599)年の覚え方とポイント
予告、来るよ大地震!と聖徳太子(599)