市乾鹿文【天皇の「本カノ営業」にハマッた女】

市乾鹿文について

【名前】 市乾鹿文
【読み】 いちふかや
【生年】 不明
【没年】 景行天皇12(82)年
【時代】 古代
【父】 熊襲梟帥(八十梟帥)
【母】 不明
【兄弟姉妹】 市鹿文
【配偶者】 無し
【子】 無し

市乾鹿文の生涯

市乾鹿文の生い立ち

クマソ(熊襲)は、

『肥人、襲人を併稱したもの』

(『西諸縣郡誌』宮崎縣教育會西諸縣郡支會編 国立国会図書館デジタルコレクション)

とされ、九州の襲国(現在の熊本県から鹿児島県にかけての地域)を中心に勢力を誇っていた人々の集団である。

襲国
(襲国のあった九州中部から南部)

市乾鹿文は、そのクマソ(熊襲)の首領であるクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の娘として、この世に生を受けた。

その市乾鹿文は、

『容既に端正し。心且雄武し』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

と女性と伝えられる。

即ち、絶世の美貌を誇り、その反面、心持ちは雄々しく猛々しいと言う女性であった。

妹に、市鹿文がおり、この市鹿文も美貌の持ち主であったとされる。

市鹿文と市乾鹿文が同母姉妹であるのか否かは不明である。

市乾鹿文とヤマト王権

景行天皇12(82)年、かねてから九州遠征中のオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)は、11月、日向国に到着する。

ここからクマソ(熊襲)が治める襲国の征服を目論む。

ヤマト王権から見て、クマソ(熊襲)は、言うことを聞かぬ異民族扱いされていた。しかし、クマソ(熊襲)から見れば、ヤマト王権は軍事力を背景とした残忍な侵略者に過ぎなかった。

侵略者への抵抗は当然のことである。

しかも、クマソ(熊襲)の首領であるクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の強さは名高く、正面から軍事衝突すれば大きな被害が出ることは明白であった。

『日本書紀』には、クマソ(熊襲)の首領として、アツカヤ(厚鹿文)とサヤカ(迮鹿文)の2人の名を挙げているが、何故か突然「クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)」と言う1人の人物に集約されてしまう。

すると、ヤマトから大王(天皇)に従軍している者がオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)に対して、

『熊襲梟帥、二の女有り』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

と進言し、続けて、

『重き幣を示せて麾下に撝納るべし。因りて其の消息を伺ひたまひて、不意の處を犯さば、曾て刃を血さずして、賊必ず自づから敗れなむ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

として、クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の娘を財宝をエサに呼び寄せ、クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)に関する情報を得た上で暗殺するように献策した。

オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)は、この策に飛びつく。

市乾鹿文、「本カノ営業」される

オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)は、早速、

『幣を示せて其の二の女を欺きて、幕下に納る』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

ことに成功する。

つまり、財宝をチラつかせて自分の下へおびき寄せたのである。

こうして、呼び寄せたクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の2人の娘を前にしたオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)は、とりわけ美貌の市乾鹿文に目を付け、

『市乾鹿文を通して陽り寵みたまふ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

つまり、熱烈な愛情を昼も夜も注ぎ、濃厚な肉体関係を以って、虜にして行った。「本カノ営業」の開始である。

本カノ営業

「本カノ営業」とは夜職の業界用語で「本営」とも呼ばれる。

夜職男子が女性客に対して「彼女」として付き合っていると言う体裁で行う営業スタイルのことで、このため女性客から見れば、夜職男子は大切な「彼」であるので、その愛を繋ぎとめるために必死となり、やがて一生懸命に貢ぐことになる。

かくて、オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)の行為全てを自らへの真実の愛と信じた市乾鹿文は愛欲の泥沼に沈み込んで行く。

市乾鹿文、天皇に捨てられ殺害される

繰り返される濃密な情事に、心からオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)のことを愛してしまった市乾鹿文は、

『熊襲の服はざることをな愁へたまひそ。妾良い謀有り。即ち一二の兵を己に從へしめたまふべし』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

として、突如、自らがクマソ(熊襲)征伐の尖兵となる話を持ち出す。

そして、屋敷に戻ると、父のクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)に酒を勧め泥酔させ寝込ませてしまう。

その上で、市乾鹿文は、クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の弓の弦を切り使えなくする。

市乾鹿文に同行していた兵士が頃合いを見て、クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)に斬り掛かり、クマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)の殺害に成功する。

これで、オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)に褒めて貰えると喜び勇んで、オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)の下に戻った市乾鹿文であった。

しかし、オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)は、

『其の不孝の甚しきことを惡みたまひ』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

と、市乾鹿文がクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)を裏切ったことを「親不孝」として罵ったのである。

こうして、オオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)の言動の全てが偽りであったと気付いた時、市乾鹿文は処刑される。

また、市乾鹿文の妹である市鹿文の方は、火国造(肥国造)に与えられた。

心から愛していたオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)に最初から騙されていたのだと知った市乾鹿文が、処刑間際に何を想ったのか何も伝わっていない。

市乾鹿文

市乾鹿文は、父のクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)を裏切ってしまったことを後悔し悲しみの中にあったのであろうか。

それとも、愛するオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)の役に立てたことに、市乾鹿文は満足し幸せの中にあったのであろうか。

市乾鹿文の物語は、これを読む人のひとりひとりに、それぞれの答えが存在する。

市乾鹿文のまとめ

市乾鹿文が実在した女性かどうかは判らない。

『古事記』には市乾鹿文が出て来ない点と、『日本書紀』では、この市乾鹿文を利用してクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)を殺害しクマソ(熊襲)を平定したとしながら、実際は、

『景行天皇親征の條に熊襲の渠帥二人あることを云ひて、たゞ其の一人を殺せることをのみ記し』

(『日向國史 古代史』喜田貞吉 東洋堂)

ているに過ぎず、その後年に再びクマソ(熊襲)の平定に当たっている点からして、市乾鹿文の物語は、儒教的な「忠孝」に欠く存在としてクマソ(熊襲)を貶めるための創作である可能性が高い。

『日本書紀』は、市乾鹿文が父親のクマソタケル(熊襲梟帥・八十梟帥)を愛欲のために裏切って死に追い込んだことを

『不孝の甚しきこと』

(『日本書紀 上 日本古典文學大系67』坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)

としている。

このためか、市乾鹿文が刺客を導いたのでは無く、

『市乾鹿文に殺され』

(『鹿兒島縣史』国立国会図書館デジタルコレクション)

たのだ、とさえ言われる始末である。

だが、その一方で、純粋な市乾鹿文の恋心を弄び、父親を裏切るように仕向けたオオタラシヒコオシロワケ大王(景行天皇)の人倫に悖る卑劣な行為については全く批判されることはない。

儒教的な男尊女卑の描き方をされているのが、市乾鹿文なのである。

しかしながら、市乾鹿文が架空の女性であったとしても、その市乾鹿文には極めて人間的な弱さを持つ魅力が詰まっており、21世紀を生きる現代人には、むしろ身近な存在に思えるのではなかろうか。

「愛」に惑い、「愛」を疑い、「愛」を信じ、「愛」に苦しみ、「愛」に自滅していく市乾鹿文の姿は、時代を超越した人間の弱さの本質である。

市乾鹿文の姿こそは、実は誰しもの姿であると言える。

市乾鹿文の系図

《系図》

熊襲梟帥┳市乾鹿文
    ┗市鹿文

市乾鹿文の墓所

不明。

市乾鹿文の年表

年表
  • 景行天皇12(82)年
    12月
    実父を裏切り死に追い込んだ罪で処刑される。