林美作守【織田信長なんか大嫌いっ!信長に反旗を翻した家臣】

林美作守について

【名前】 林美作守
【読み】 はやしみまさかのかみ
【生年】 不明
【没年】 弘治2(1556)年
【時代】 戦国時代
【通称】 美作守
【出仕先】 織田氏家臣
【父】 不明
【母】 不明
【兄弟姉妹】 林秀貞(林通勝)
【配偶者】 不明
【子】 不明
【氏】 林氏

林美作守の生涯

林美作守の生い立ち

林美作守の確かな諱(実名)は不明。

兄に林秀貞がいる。

秀貞が、織田信長の筆頭家老職にあったことで、美作守は織田氏家臣としての林家を束ねていたようである。

織田信長
(『織田信長像(部分)』長興寺所蔵 Wikimedia Commons)

林美作守、織田信長に反抗する

天文23(1554)年、今川軍が西三河へ進出。この動きを受け織田信長は、今川軍に対しほぼ全兵力で攻撃を加えることを決める。

そこで、信長は、兵力の手薄となる尾張国の警備のため、正室の実家である美濃国の斉藤氏に対して援軍の派遣を要請する。

この信長の考えに、林美作守は秀貞と共に猛烈に反発する。そして、出陣を拒否し前田与十郎の荒子城に籠もっている。

荒子城跡
(荒子城跡)

こうして、美作守は公然と「反・信長」の旗幟を鮮明にしたが、この当時の信長には、こうした動きを抑え込むだけの実力が無かった。

林美作守、織田信長に対し挙兵する

弘治2(1556)年、林美作守は、林秀貞邸へ出向いた信長に切腹を強いることを考える。

しかし、この美作守の考えは今までの織田家から受けた恩義を説く秀貞によって反対される。

それでも美作守は遂に秀貞を動かし、信長の弟である織田勘十郎(信勝・信行)を総大将に擁立した上で、柴田勝家等と叛乱を起こす。

これが織田氏家督を巡る『稲生原合戦』である。

稲生原合戦場跡
(稲生原合戦場跡)

美作守はこの合戦に兵700を率いて出陣する。美作守は、自ら兵を率いて稲生原の南方から信長部隊に迫った。さらに、勝家部隊1000の奮戦もあって戦況は乱戦となった。

戦況の行方が混沌とする中、信長が大声を張り上げ怒り狂ったことで、両軍の兵士に動揺が生じた。とりわけ、美作守の部隊は「叛乱軍」故に足並みが乱れてしまう。これを好機と見た信長は、美作守に標的を絞り襲い掛かったのである。

美作守は、この乱戦の最中、信長配下の黒田半平と実に数時間に及ぶ組み合いを繰り広げ、ようやくのことで半平の左腕を斬り落として退けた。

半平との長時間の組み合いで疲労困憊し動くこともままならない状態となる美作守であった。

そこへ駆けつけた信長に拠って、美作守は情け容赦無く突き伏せられ、そのまま抵抗らしい抵抗も出来ないままに遂に頚を獲られる。

美作守が戦死したことで、林部隊700は恐慌状態となり壊滅した。信長への叛乱劇は美作守の死で幕を下ろす。

林美作守とは

林美作守は織田信長を強固なまでに織田家家督から排斥しようとした。

その理由を穿って考えると、信長の「親美濃国」路線を美作守が危惧したからと取れる。

譜代の織田家家臣であった美作守であれば、織田信秀による美濃攻略戦にも参加していたはずであり、また、美濃国に戦略的にも何らかの権益を見出していた可能性も高い。同時に、美濃との戦いで戦死した者たちの無念を痛いほど実感していたのであろう。

信長の「親美濃国」路線は、それらの美作守たち譜代家臣が長年に渡って積み上げて来た苦労を反故にするものであったが故に、美作守は叛旗を翻したのではないかと考えられる。

また、何より当時は兄弟同士の家督相続争いは珍しいものでも無く、その争いに家臣が関与するのはありふれたことであった。

だが、やはり、美作守備が信長の排斥に動いた最大の理由は「織田信長のうつけ」ぶりを忌避したことであったと思われる。

それこそ、林秀貞が信長を暗殺しようとした美作守を諭したの中に出て来た言葉、

『三代の相恩』

(『信長公記(上)』太田牛一原著 榊山潤 訳 ニュートンプレス)

に報いようとしたことこそが理由だったのではないだろうか。

仕えて来た主家・織田家(織田弾正忠家)のことを心から思うが故に、織田家の家督には常識的な感覚、言わば、自分たち家臣たちとの共通の認識を分かち合える織田勘十郎を家督に据えようとしたものと思われる。

林美作守の織田信長への叛乱は、織田家(織田弾正忠家)への忠義心が篤かったことの裏返しだったのではないだろうか。

林美作守の系図

《林美作守の系図》

林氏┳秀貞
  ┗美作守

林美作守の年表

年表
  • 天文23(1554)年
    正月20日
    出陣拒否。
  • 弘治2(1556)年
    5月26日
    織田信長に切腹させることを林秀貞へ提案。
  • 8月24日
    『稲生原合戦』。
    戦死。