留守官【天皇不在の宮都を管理!政変劇とも深い関係を持つ闇の官職】

留守官について

【表記】 留守官
【読み】 るすのつかさ
【国風読み】 とどまりまもるつかさ

留守官とは

古代の官職。

「留守司」も同義と考えられている。

天皇が行幸している間、皇宮(皇都)を管理するために設置された官職。令制下では、主鈴が管理する駅鈴と蔵司が管理する関契を統括した。

斉明天皇4(658)年に、斉明天皇が紀伊国へ行幸した際、後飛鳥岡本宮の留守官に、蘇我赤兄が任命されたのが最初である。

留守官には、天皇から信任を受けた有力な皇親・貴族が就いた。しかしながら、それら留守官が絡む政変劇が多いのも特徴となっている。

留守官が絡む政変

留守官と『有間皇子の変』

【時期】 斉明天皇4(658)年
【宮都】 後飛鳥岡本宮
【留守官】 蘇我赤兄

中大兄皇子にとっての不安定要因となりかねない存在であった有間皇子が「謀反」を計画したとして死罪となる。

留守司と『壬申の乱』

【時期】 天武天皇元(672)年
【宮都】 倭古京
【留守司】 高坂王

天武天皇元(672)年に勃発した『壬申の乱』では、近江朝廷が倭古京に「留守司」として高坂王を置いていた。高坂王は朝廷を裏切り倭古京は、叛乱軍である大海人皇子の占拠するところとなり、近江朝廷側の敗北する重大要因となった。

「留守司」は、この時の高坂王が日本史上唯一である。読みは「とどまりまもるつかさ」とされていることから、「留守官」と同じと考えられる。

留守官と『安積親王急死事件』

【時期】 天平16(744)年
【宮都】 恭仁京
【留守官】 鈴鹿王・藤原仲麻呂 等

聖武天皇の皇子である安積親王が、天皇と同行していた行幸から恭仁京に引き返した直後に急死する。

留守官と『藤原種継暗殺事件』

【時期】 延暦4(785)年
【宮都】 長岡京
【留守官】 早良親王・藤原是公・藤原種継 等

長岡宮造営使の藤原種継が奈良派に暗殺される。この事件は、首謀者とされた早良親王(皇太弟)の憤死に繋がる。

留守官の年表

<斉明天皇4(658)年>
11月3日、蘇我赤兄、留守官となる。
11月5日、『有間皇子の変』。

<天武天皇元(672)年>
6月24日、倭古京留守司の高坂王、大海人皇子軍から駅鈴の提出を強要されるが拒否する。

高坂王は、同月29日、大友皇子(弘文天皇)軍を裏切り大海人皇子軍側へと寝返っている。

<持統天皇6(692)年>
3月3日、広瀬王・当麻智徳・紀弓張等が留守官となる。

なお、この行幸については、三輪高市麻呂が持統天皇に行幸の中止を求めて諫言している。

<和銅3(710)年>
3月10日、平城京遷都に際し、石上麻呂を藤原古京の留守官とする。

<天平16(744)年>
閏正月11日、聖武天皇の難波宮行幸に際し、鈴鹿王・藤原仲麻呂等が留守官となる。

閏正月13日、安積親王、薨去。

<延暦4(785)年>
8月24日、桓武天皇の平城古京行幸に際し、早良親王・藤原是公・藤原種継等が留守官となる。

9月23日、『藤原種継暗殺事件』勃発。