上洛

上洛についての小ネタ

【時代】 平安時代

京に上洛するの「洛」とは?

一般に京都に入ることを、「上京する」とは言わずに「上洛する」や「入洛する」と言う。

何故か?そもそも「洛」とは何か?

中国に憧れた平安京

その起源は、平安時代に遡る。

平安時代、朱雀大路を挟んで、平安京内は、左京と右京に分かれていた。

日本の宮都制度は、古代中国に倣ったものであり、古代中国風(唐風)の味付けを好んだ。

そこで朱雀大路より東に位置する左京を「洛陽城」、同じく西に位置する右京を「長安城」と唐風に呼ぶことで、一種の雅さを求めた。

《平安京》

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┃    ┃宮 域┃    ┃
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┃ 長安城  ┃ 洛陽城  ┃
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没落頽廃した右京が原因だった

ところが平安時代中期頃までに、右京地域の衰微が甚だしく、貧困層が住み着き治安は悪化し、一種のスラムに近い状況となった。

以後、左京に平安京の中心は移り、平清盛に代表される平氏政権に至っては、鴨川の東の六波羅に中心を置いたほどである。

以上のことから平安京とは左京地域を指すようになり、その左京の唐風の呼び名であった「洛陽城」が平安京そのものの同義として、京に入ることを、「上洛する」、「入洛する」と言うようになったのである。