箭括麻多智について
【名前】 | 箭括麻多智 |
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【読み】 | やはずのまたち |
【生年】 | 不明 |
【没年】 | 不明 |
【時代】 | 継体天皇朝 |
【父】 | 不明 |
【母】 | 不明 |
【兄弟姉妹】 | 不明 |
【配偶者】 | 不明 |
【子】 | 不明 |
【氏】 | 箭括氏 |
箭括麻多智の生涯
箭括麻多智の生い立ち
箭括麻多智は、常陸国行方郡の人である。
麻多智の両親や誕生年・没年等、具体的な経歴については一切が未詳である。
箭括麻多智、神と戦う
箭括麻多智は、常陸国行方郡の郡役所の西に位置する谷間の土地を開墾し新田を切り拓いていた。
すると、夜刀の神々が幾体も押し寄せ、麻多智を取り囲んだ。
麻多智は、自分の仕事の邪魔をする夜刀の神を見て怒り心頭に達し、兜を被り鎧を着て矛(杖)を手に取るや、夜刀の神を次々と矛で打ち殺した。
こうして、夜刀の神を、平地から山の方へ追い込むと、その山と平地の境界線に当たるところへ大きな杖を打ち込んで、次のように告げた。
『此より上は神の地と爲すことを聴さむ。此より下は人の田と作すべし』
(『日本古典文學大系2 風土記』 秋本吉郎 校注 岩波書店)
そして、自分は、この時から子々孫々に至るまで永代に渡り、夜刀の神を祠に祀り神事を行ない崇め敬い続けることを約束した。
こうして、常陸国行方郡の地は、豊醸な土地として後世に受け継がれることとなったのである。
箭括麻多智とは
箭括麻多智の氏である箭括氏については、詳しいことは何も伝わっていない。
夜刀の神とは、頭には角が生え、体は蛇の姿をした神である。
この夜刀の神は、谷の神のことと考えられ、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と同種ではないかと思われる。
往古の昔から「この夜刀の神に出会って逃げる際には、決して振り向いてはならない、もしも、振り向いて、その姿を見たならば、その神力のために、家は破壊され、子孫は必ず絶滅する」と言い伝えられていた神であった。
麻多智は、この夜刀の神を制すると同時に、その畏れを忘れずに崇めることで豊かさを手に入れたのである。
「夜刀の神」とは、自然災害、とりわけ水害を象徴した神のことと考えられる。
古代から日本列島は肥沃な土地と引き換えに自然災害の多い土地であった。しかし、人民たちは、その土地にしがみつき血涙を流しながらも懸命に生活して来たのである。箭括麻多智の物語は、そのような人民の苦労を英雄譚として描いたものでもあろう。
そして、箭括麻多智の姿は、どのような困難に直面しても、決してあきらめずに前へと進み続ける一方で、自然と共生して来た古代の人民の姿でもあったと言える。
箭括麻多智の系図
不明
箭括麻多智の年表
- 継体天皇朝(507~531)年常陸国行方郡を開拓する。