目次
冠位十三階について
【表記】 | 冠位十三階 |
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【読み】 | かんいじゅうさんかい |
【時代】 | 孝徳天皇朝 |
『冠位十三階』とは
『冠位十二階』に続いて、日本で二番目に制定された冠位制度(官位制度)。
中大兄皇子を中心とする改新政権によって、大化3(647)年に制定された冠位制度(官位制度)である。
大化2(646)年の『改新之詔』に拠って制定が宣言された位階制度が実現されたもの。『冠位十二階』に比べると、一階増加されただけに見えるが、唐の官品制度を参考にして制度化された実質的には大規模な冠位(官位)制度の改革であり画期的な施策であった。
七色十三階に分けられ、『冠位十二階』では未規定であった『大宝律令』の官位での正一位から従三位までを規定の範囲に収めた。また、『大宝律令』の官位での初位相当に当たる位階も制定され、人材登用の門戸を広げているのも特徴である。
『冠位十三階』の目的
『冠位十二階』では、下級豪族から有能な人材を、王権(朝廷)の官人として登用出来る制度と言う一定の役割を果たした。しかし、有力豪族(蘇我氏等)を冠位制度(官位制度)の枠内に収めることが出来ず、王権(朝廷)の政治力に制限が残った。
これらの制限を無くすために、後の上級貴族(公卿)に相当する冠位(官位)を新たに設置することで、倭(日本)国内の諸豪族を王権(朝廷)の支配下に置いて統御することを目的として制定された。
『冠位十三階』の問題点
『冠位十三階』は、『冠位十二階』を廃止して実施されたものの、左大臣(阿倍内麻呂)・右大臣(蘇我倉山田石川麻呂)は、この新冠位制度(官位制度)に従わなかった。
『古き冠を罷む。左右大臣、猶古き冠を着る』
(『日本古典文學大系68 日本書紀 下』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
阿倍内麻呂と蘇我倉山田石川麻呂は、『冠位十二階』以前の旧冠を着用し続け、自分たちは、これらの冠位制度(官位制度)の支配を受けない特権階級であることを無言の内に主張した。
『冠位十三階』と『冠位十二階』との比較
- 大織
- 小織
- 大繍
- 小繍
- 大紫
- 小紫
- 大錦
- 〃
- 小錦
- 〃
- 大青
- 〃
- 小青
- 〃
- 大黒
- 〃
- 小黒
- 〃
- 建武
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- 大徳
- 小徳
- 大仁
- 小仁
- 大礼
- 小礼
- 大信
- 小信
- 大義
- 小義
- 大智
- 小智
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『冠位十三階』と大宝律令官位相当との比較
- 大織
- 小織
- 大繍
- 小繍
- 大紫
- 小紫
- 大錦
- 〃
- 小錦
- 〃
- 大青
- 〃
- 小青
- 〃
- 大黒
- 小黒
- 建武
- 〃
- 正一位
- 従一位
- 正二位
- 従二位
- 正三位
- 従三位
- 正四位上下
- 従四位上下
- 正五位上下
- 従五位上下
- 正六位上下
- 従六位上下
- 正七位上下
- 従七位上下
- 正八位上下
- 従八位上下
- 大初位上下
- 小初位上下
『冠位十三階』の年表
- 大化2(646)年8月14日『改新之詔』で百官位階制定を宣言。
- 大化3(647)年4月1日『冠位十二階』を廃止して実施。