僧官についての小ネタ
【時代】 | 飛鳥時代 |
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僧侶を国家が管理することになったきっかけとは?
推古天皇32(624)年4月13日、僧や尼を統制するために「僧官」が創設される。
僧官として、僧正、僧都、法頭が置かれた。この僧官制度の導入には、ある事件がきっかけとなった。
僧に拠る暴行事件が契機に!
その事件とは、同年4月3日、一人の坊主が、自分の祖父を斧でメチャクチャに殴打したのである。
記録には、祖父の被害について詳しく記されていないが、当時、手厚く保護されていたはずの坊主が、殺人ないしは傷害事件を犯したのである。しかも、相手は自らの祖父である。
この事件によって、推古天皇、蘇我馬子等の朝廷には激震が走った。
排仏派を打ち倒して樹立された政権であるだけに、事は深刻だったのである。しかも、当時、聖職者であったはずの坊主が引き起こした事件であり、その衝撃は、かなりのものであったと思われる。
こうして推古天皇は、僧官制度を導入して、僧尼たちの法的統制に踏み切ったのである。
いつの時代も、まるで暴発したかのように残虐な事件を犯す者が出現し、それを契機として、国家による統制支配が強められるのである