時代
飛鳥時代。
天皇
【代数】 | 第30代 |
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【天皇名】 | 敏達天皇 |
政体
【大臣】 | 蘇我馬子 |
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【大連】 | 物部守屋 |
敏達天皇6(577)年の出来事
出来事
- 敏達天皇6(577)年2月1日日祀部・私部を設置。
- 敏達天皇6(577)年5月5日遣百済使(大別王・小黒吉士)を百済に派遣する。
- 敏達天皇6(577)年11月1日遣百済使が倭(日本)に帰国。
まとめ
この年の最大の出来事は、遣百済使の派遣である。
遣百済使に対して、百済は、仏教の経巻200巻に加え、律師・禅師・比丘尼・呪禁師・造仏工・造寺工の6名を倭(日本)に差し向けている。つまり、百済から仏教の最新知識が倭に伝えられたことになる。
倭では、これらの経巻、及び、律師・禅師・比丘尼・呪禁師・造仏工・造寺工の6名を河内国難波にあった大別王の寺院に納れている。
注目されるのは、王親(皇親)である大別王が、この年までに既に寺院を建立していた事実である。この大別王の寺院建立は、蘇我馬子が仏殿を建立するよりも先んじている点で注目される。
なお、この年に百済からもたらされた経巻の中に「法華経」が含まれていたと伝えられている(『扶桑略記』)。
このように敏達天皇6(577)年は、日本仏教史にとって、ひとつの画期となる年であった。